◆主な展示資料(長命寺文書)
※所蔵者は館蔵の肖像画二幅以外、すべて長命寺です。 |
□奥島庄司土師助正畠地寄進状(おくしましょうじはじすけまさはたちきしんじょう) 初公開
長命寺の近くにある奥島庄の庄司である土師助正が、亡父の遺志により船木郷(ふなきごう)にある先祖伝来の畠地を長命寺に寄進したことが記されています。11世紀後半の、非常に古い古文書です。 |
□長命寺由緒書(ちょうめいじゆいしょがき) 初公開
大永6年(1526)に延暦寺西塔の快重(かいじゅう)という僧が記した長命寺の由緒。長命寺が聖徳太子の創建で観音菩薩の霊場であるなどの由緒が記されています。 |
□佐々木泰綱袖判下文(ささきやすつなそではんくだしぶみ)
佐々木氏の中で、鎌倉時代に初めて六角氏を名乗った泰綱(?〜1276)の花押が据えられた命令書。長命寺と大島神社神主との相論(そうろん)の裁定を下した内容です。 |
□佐々木頼綱書下:(ささきよりつなかきくだし)
泰綱の二男の頼綱(1242〜1310)の命令書です。琵琶湖の網人(あみびと)と長命寺の漁場をめぐる訴訟に対して指示を行っています。 |
□佐々木時信奉加状(ささきときのぶほうがじょう)
鎌倉幕府滅亡時の六角氏当主である時信(1306〜1346)が、長命寺に馬一疋を奉納することを記した文書です。 |
□佐々木定頼書状(ささきさだよりしょじょう) 初公開
室町時代末期の佐々木六角氏当主である定頼(1495〜1552)が、長命寺浜に滞在していたとき贈られた銭に対して礼を述べた手紙です。 |
□天文四年十月結解米下用状断簡(てんぶんよねんじゅうがつけちげまいげようじょうだんかん)
長命寺が支出した銭や米の額と用途を記入した出納帳(すいとうちょう)。本資料は天文4年(1535)のものですが、長命寺にはこの前後の下用状が多く残されています。法要や寺の出費の他、佐々木六角氏の依頼で輸送や軍事に船を出した際の出納なども記されていて注目されます。 |
□丹羽長秀・村井貞勝連署書状:(にわながひで・むらいさだかつれんしょしょじょう)
永禄11年(1568)年の秋、信長が近江に侵攻した直後の11月24日に、家臣の丹羽・村井を通じて長命寺の領地を保障したもの。 |
□織田信忠書状案 初公開
織田信長の嫡男・信忠が信長家臣の丹羽長秀に宛てた書状の写。長命寺をこれまで同様に保護するように気に掛け、柴田勝家にも伝えるよう記されています。 |
□坂井政尚・柴田勝家連署書状 初公開
信長の家臣である坂井・柴田の二人が連署して長命寺に出した書状。信忠の指示により、長命寺に無理難題を持ちかける事を禁じ、長命寺を保護しています。年代が記されていませんが、坂井が元亀元年(1570)11月に戦死するので、それ以前のものです。
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□中川重政書状 初公開
中川重政は、元亀元年に信長によって安土に置かれ、柴田勝家とともに蒲生郡を任された家臣です。その後、柴田との所領争いとなり没落してしまいます。この書状は、長命寺が納めた税金について柴田と中川の間で行き違いがあった際のやりとりを示すものです。 |
□徳川家康禁制
慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦に対し、家康が長命寺を保護するように命じたものです |