テーマ展「新指定 長命寺文書(ちょうめいじもんじょ)展」
◆趣旨・内容
 長命寺は近江八幡市長命寺町に所在する古刹で、現在も西国観音巡礼の第31番目の札所として多くの参拝者が訪れる単立寺院です。寺伝によれば、武内宿禰(たけしうちのすくね)が開山で聖徳太子の創建と言われています。多くの古文書が伝えられていましたが、その全貌は長い間明らかにされていませんでした。平成12年度から14年度にかけて滋賀県教育委員会が行った詳細調査で、中世文書303点を含む5,475点が確認され、これを受けて平成20年(2008年)7月23日、「長命寺文書」として滋賀県指定文化財に指定されました。現在、長命寺文書は滋賀県立安土城考古博物館に寄託されていますが、指定を記念し、その中の12点をテーマ展示にて披露いたします。
  平成20年の新指定品の一部は、同年8月9日から29日までの間、「滋賀県新指定文化財展」の中で公開されましたが、本テーマ展では、長浜で公開された以外の、初公開6点を含む12点を展示します。長命寺文書中で最も古い年紀を持つ承保元年(1081)の寄進状や、鎌倉・室町・安土桃山時代に、長命寺が近江守護の佐々木氏や織田信長の家臣たちとやりとりした文書を中心に、長命寺文書を紹介します。
  また、長命寺文書の他、長命寺所蔵の釈迦三尊像・弥勒菩薩像・山越(やまごえ)阿弥陀像各1幅(ともに近江八幡市指定文化財)と、参考資料として長命寺文書の差出人である徳川家康や織田信忠の画像(ともに館蔵)も展示します。
◆展示のみどころ
 これまでほとんど公開されることの無かった長命寺文書の中で、当館のテーマである、佐々木六角氏および織田信長関係の古文書を選んで展示します。信長の家臣の中でも文書残存数の少ない家臣(中川重政:しげまさ・坂井政尚:まさなお)や信長の嫡男・信忠の書状案なども初公開となり、注目できます。また、承保元年(1081)の寄進状は、県内でも数少ない平安時代の古文書です。

◆期  間 

平成21年6月9日(火)〜7月20日(日)
◆会  場  滋賀県立安土城考古博物館第2常設展示室
◆開館時間  9:00〜17:00(入館は16:30まで)

◆休 館 日

月曜日

◆入 館 料  大人400円(320円)、高大生250円(200円)
※ただし7月18日(金)〜20日(日)は、企画展料金となり大人450円(360円)となります。
※( )は20人以上の団体料金です。 ※信長の館との共通券もあります

◆主な展示資料(長命寺文書) ※所蔵者は館蔵の肖像画二幅以外、すべて長命寺です。

□奥島庄司土師助正畠地寄進状(おくしましょうじはじすけまさはたちきしんじょう) 公開
長命寺の近くにある奥島庄の庄司である土師助正が、亡父の遺志により船木郷(ふなきごう)にある先祖伝来の畠地を長命寺に寄進したことが記されています。11世紀後半の、非常に古い古文書です。
□長命寺由緒書(ちょうめいじゆいしょがき) 初公開
大永6年(1526)に延暦寺西塔の快重(かいじゅう)という僧が記した長命寺の由緒。長命寺が聖徳太子の創建で観音菩薩の霊場であるなどの由緒が記されています。
□佐々木泰綱袖判下文(ささきやすつなそではんくだしぶみ)
佐々木氏の中で、鎌倉時代に初めて六角氏を名乗った泰綱(?〜1276)の花押が据えられた命令書。長命寺と大島神社神主との相論(そうろん)の裁定を下した内容です。
□佐々木頼綱書下:(ささきよりつなかきくだし)
泰綱の二男の頼綱(1242〜1310)の命令書です。琵琶湖の網人(あみびと)と長命寺の漁場をめぐる訴訟に対して指示を行っています。
□佐々木時信奉加状(ささきときのぶほうがじょう)
鎌倉幕府滅亡時の六角氏当主である時信(1306〜1346)が、長命寺に馬一疋を奉納することを記した文書です。
□佐々木定頼書状(ささきさだよりしょじょう) 初公開
室町時代末期の佐々木六角氏当主である定頼(1495〜1552)が、長命寺浜に滞在していたとき贈られた銭に対して礼を述べた手紙です。
□天文四年十月結解米下用状断簡(てんぶんよねんじゅうがつけちげまいげようじょうだんかん)
長命寺が支出した銭や米の額と用途を記入した出納帳(すいとうちょう)。本資料は天文4年(1535)のものですが、長命寺にはこの前後の下用状が多く残されています。法要や寺の出費の他、佐々木六角氏の依頼で輸送や軍事に船を出した際の出納なども記されていて注目されます。
□丹羽長秀・村井貞勝連署書状:(にわながひで・むらいさだかつれんしょしょじょう)
永禄11年(1568)年の秋、信長が近江に侵攻した直後の11月24日に、家臣の丹羽・村井を通じて長命寺の領地を保障したもの。
□織田信忠書状案 初公開
織田信長の嫡男・信忠が信長家臣の丹羽長秀に宛てた書状の写。長命寺をこれまで同様に保護するように気に掛け、柴田勝家にも伝えるよう記されています。
□坂井政尚・柴田勝家連署書状 初公開
信長の家臣である坂井・柴田の二人が連署して長命寺に出した書状。信忠の指示により、長命寺に無理難題を持ちかける事を禁じ、長命寺を保護しています。年代が記されていませんが、坂井が元亀元年(1570)11月に戦死するので、それ以前のものです。
□中川重政書状 初公開
中川重政は、元亀元年に信長によって安土に置かれ、柴田勝家とともに蒲生郡を任された家臣です。その後、柴田との所領争いとなり没落してしまいます。この書状は、長命寺が納めた税金について柴田と中川の間で行き違いがあった際のやりとりを示すものです。
□徳川家康禁制
慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦に対し、家康が長命寺を保護するように命じたものです
◆関連行事
【ギャラリートーク】※参加は無料ですが、入館料が必要です。
日  時:

6月14日(日) 午前11時〜11時30分
7月12日(日) 午後1時30分〜2時
場  所: 当館第2常設展示室
織田信忠書状案 佐々木泰綱袖判下文
織田信忠書状案 
佐々木泰綱袖判下文